神宮徴古館・神宮農業館

神宮徴古館・神宮農業館 歴史詳細

明治時代の代表的な建築様式を今に残す神宮徴古館・神宮農業館。日本最初の私立博物館として創設された両館の歴史を紹介します。

神宮徴古館農業館の変遷 - 現在に至るまで -

1.神宮徴古館の焼亡

昭和20年7月29日未明の空襲で徴古館と同収蔵庫は被災し、収蔵品の九割を焼失した。昭和23年4月から宇治橋前の参拝者休憩所を仮徴古館としていたが、第59回式年遷宮の附帯事業として昭和28年10月1日、遷宮に合わせて開館した。復旧に当たっては、外壁を活かしつつも内部を鉄筋コンクリートにより補強したうえで2階建てとし、屋根は銅板の寄棟造に改めた。

  • 戦前の徴古館館内
  • 戦火で外壁だけが残った
  • 復旧となった神宮徴古館

2.神宮徴古館新館建設(現在の別館部分)

昭和59年、収蔵庫・展示室・会議室・事務所等を備えた新館の建設に着手、同60年11月9日、本館に準拠して外壁に御影石(花崗岩)を用いた新館が竣功。

3.神宮農業館の移設

老朽化が懸案事項であった農業館は、その所在地に平成5年斎行の第61回式年遷宮の附帯事業として美術館を建設することになったことから、平成元年8月31日に一旦閉館、平成8年3月28日、徴古館北西の現在地に凹型に縮小のうえ移設された。

4.神宮徴古館耐震工事と「倭姫文化の森」

平成26年8月26日、徴古館本館の耐震補強工事のため農業館とともに休館、同27年10月30日に開館式を挙行、翌31日に再開館。この時、明治42年の開館以来の右翼口(向かって左口)からの入館を中央口に変更。館内1階中央奥の旧貴賓室を催事室とし、1階・2階の左廊と右廊には各々4所の展示室、1階右廊2室には第62回式年遷宮後に解体された外宮御饌殿の正面部分を移設復原。1階には大型列品を展示するためのケースも新造し、新館を別館と改称。
神宮徴古館リニューアルオープンに併せて倭姫宮を含む倉田山地域を市民の憩いの広場として整備し、「倭姫文化の森」と命名。

平成10年、両館は明治時代の建築物の代表的遺構として国の登録有形文化財となった。

現在の徴古館外観
  • 左上)催事室 左下)展示室 右)御饌殿復原展示