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田中芳男と神宮の博物館

平成29年1月18日

「日本の博物館の父」とも称される田中芳男。慶応三年のパリ万博、明治六年のウィーン万博では政府の一級事務官として派遣され実務を統括、パリ万博から帰国後は日本の博物館創設に関わり、東京国立博物館を創設するなど我が国の文化振興に多大な功績を残しました。昨年は田中芳男の没後一〇〇年にあたり、東京の国立科学博物館では記念展も開催されました。
田中芳男は神宮とも関係が深く、日本最古の産業博物館である神宮農業館(明治二十四年設立)の創設時には総責任者として列品の収集・整理から展示にいたるまで全力を注ぎました。
専心博物館の運営に尽力した田中ですが、彼の内にあったのは単なる博物学への関心だけではありません。産業革命後、急速に天然資源が消費されていく様を見た田中は、将来多発する自然災害を既に予測し「これは皆人為の災害にして、自己の為せる禍なり、天災と誤認することなかれ」と警鐘を鳴らしています。
明治三十一年には「山水は国の財源」と題した講演を行い山の草木をバランス良く繁茂させることが豊かな国土を維持し気候を調和する事などを力説しています。彼が訴えようとしたこと、それは自然は人の都合で利用すべき物ではなく敬慕を以て接し、共生をはかるという事でした。

「あえて権門にこびるにあらず。勢利につくにあらず。独立、独行、ただ世を利し人を益するをもって楽しみとし、その間一点の私利を図らず、身を献じ誠を致す。」

田中芳男にあてた花房義質子爵の弔辞には、粛としてただ国のために尽くす貴い文化人の姿が見えてきます。


『伊勢倉田山即事』 田中芳男が詠んだ七言絶句
「徴古館は吾が歴史を知り、農業館は国産の源を開く。観覧の裨益(ひえき)、眺望(ちょうぼう)美(び)なり、無窮の幸福、神恩在り」

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